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高校野球(甲子園)中止は過去に5回!大会と理由をまとめてみた

この記事では過去に何度甲子園の中止があったのかをまとめています。

結論から言うと高校野球の歴史のなかで中止になった大会は春夏合わせて過去に5回ありますが、その甲子園が中止された過去を理由とともに紹介していきます。

高校野球(甲子園)中止は過去に何回あるのか

まず、甲子園で行われる高校野球の全国大会は「春のセンバツ大会」「夏の甲子園大会」の年2回あり、春のセンバツ大会は今年で92回目、夏の大会は今年で102回目を迎えます。

そんな長い歴史のなかで、中止になったのは春3回、夏2回の4回です。

中止になった大会と理由を見ていきましょう。

 

高校野球中止の過去:春のセンバツ大会

春のセンバツ大会で甲子園が中止になったのは、過去3回あります。

米騒動が起きた1918年と、第2次世界大戦が原因の1942年~1946年の期間、そしてコロナによる2020年の中止です。

1918年 第4回大会【米騒動により中止】

大正7年の第4回大会は「米騒動」により中止となりました。

米騒動とは歴史の教科書でも有名なできごとですね。

米騒動

1914年に勃発した第1次世界大戦がインフレを招き、米の価格が半年間で倍になったことで、当時肉体労働者が多かったことや主食が米だったことから家計を直撃しました。

そして1918年7月、富山県魚津市の主婦たちが県外に輸送する米の詰め込み作業を拒否したことをきっかけに全国各地で市民が米の価格を引き下げる要求する暴動が活性化し米騒動となります。

米騒動では鎮圧のために軍隊まで導入されるほどの大暴動となりました。

米騒動は、青森県、岩手県、秋田県、沖縄県を除いた国内のほとんどの地域で大きな騒動が起きたとされています。

そして米騒動はその後の日本の政治や経済に大きな影響を与えたとされており、日本史上もっとも大きな民衆運動と言われるほどのできごとでした。

このような背景があり、この年は高校野球が中止されています。

1942年~1946年【第二次世界大戦により中止】

高校野球2回目の中止は昭和17年から昭和21年までの5年間、第二次世界大戦が原因で中断されました。

※年数で数えると、この5年を合わせて全部で6年の中止があるわけですが、さまざまな記録でも戦争期間中の中止を1回とカウントしているため当記事もそれに合わせて1回としています。

この期間は全国大会のみならず地方大会も中止をやむなくされました。

ちなみに、阪神甲子園球場の名物となっている「銀傘(ぎんさん)」は鉄でできていたため軍事目的で使用する政府の方針で1943年に取り壊されました。

しかし結局のところ戦争中に軍事利用されることはなかったとされています。

ソーラーパネルが設置された銀傘:朝日新聞

 

2020年 第92回大会【コロナ感染拡大防止により中止】

記憶に新しい2020年の第92回大会はコロナの感染拡大防止により中止となりました。

3月19日から開催予定だった大会はギリギリまで開催可否が検討されましたが3月11日の臨時運営委員会で『大会開催中止』が決定しました。

 

高校野球中止の過去:夏の甲子園大会

夏の甲子園大会は今年で102回目を数えますが、過去に中止が2回だけあります。

ちなみに夏の甲子園大会が中止になった過去2回の大会はどちらも地方予選が行われて代表校が決まっていたため、大会数(回次)はカウントされています。

そのため昨年まで101回の歴史がありますが優勝校は99校と大会数よりも2校少なくなっています。

これは大会数に過去2回の中止も含まれているためです。

中止となったのは、米騒動で選抜大会が中止となった同じ年の1918年と、太平洋戦争が起きた年の1941年の過去2回です。

その詳細をご紹介します。

1918年 第4回大会 【米騒動により中止】

センバツ大会と1918年に夏の甲子園大会も中止されました。

この年は米騒動のさなか地方大会は何とか行われ、8月9日にすべての代表校は出揃っていました。

そのため当初は夏の甲子園大会が8月14日に開幕する予定でしたが、暴動が深刻化したことで大会が中止となりました。

1941年 第27回大会 【太平洋戦争により中止】

1941年の太平洋戦争は12月8日に始まったものですが、この年は開戦前ということで夏の時点から軍事色が濃くなっており、学生の流出を防ぐためにあらゆる全国大会が中止されました。

この年の高校野球全国大会もそのあおりを受けた形で中止になっています。

ただし地方予選は行われており、代表校が一部をのぞき決まっていたため大会回数としては「第27回」としてカウントされています。

 

1942年 第28回になるはずだった幻の甲子園

さいごに甲子園記録に記載されていない”幻の甲子園”をご紹介します。

1942年は太平洋戦争のなか甲子園で野球大会が行われました。

しかし「選手権大会」という名目ではなく、戦意高揚を目的とした”錬成野球大会”として行われたため甲子園の公式記録としては記録されておらず「幻の甲子園」と呼ばれています。

幻の甲子園

スコアボードには、

「勝つて兜の緒を締めよ 戦ひ抜かう大東亜戦(太平洋戦争)」

というスローガンが掲げられ、選手は”選士”と呼ばれました。

この大会は突撃精神からデットボールを避けることは禁止、選手交代も許されない、エラーをすれば軍人に「戦場ではひとつのミスが命取りだ!」として殴られるなど、なにかと軍事色の濃いものだったとされています。

さらに試合中に召集令状が来た選手は「ご自宅にお戻りください」と呼びかけられ、観客から拍手がわいたと言います。

選手からしたらたまったものではありません。

このような今では考えられない軍事色の濃い中で行われた大会は徳島商が優勝しましたが、公式記録としては残されていないため「幻の甲子園優勝」となっています。

出典:朝日新聞

 

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高校野球(甲子園)中止の過去【まとめ】

今回は「高校野球(甲子園)中止は過去に5回!大会と理由をまとめてみた」というテーマでお送りしました。

まとめ

春のセンバツ中止は過去3回

  • 1918年に米騒動により中止
  • 1942年~1946年に第二次世界大戦により中止
  • 2020年 コロナにより中止

夏の甲子園大会の中止は過去2回

  • 1918年の米騒動により中止
  • 1941年に太平洋戦争待機により中止
  • 1942年には「幻の甲子園」開催

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